≪画像あり≫「青函連絡船戦災犠牲者追悼・平和祈念の集い」の模様 2024年7月14日

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戦後79年

青函連絡船戦災犠牲者
追悼・平和祈念の集い

1945年7月14日 攻撃を受ける翔鳳丸。
この日、青森湾で131名の方々が犠牲になりました。

とき 2024年7月14日午後1時
ところ 青い海公園八甲田丸地区

(終了致しました)

主催

〒 030-0802
青森市本町2-1-10―103
電話・FAX 017-777-6200

次第

  1. 開会挨拶と司会
    小熊 ひと美(空襲を記録する会)
  2. 黙祷
  3. 主催者挨拶
    青森空襲を記録する会 会長 今村修
  4. 来賓ご挨拶
    (1)青森市長 代理・総務部総務課長 竹内 巧 氏
    (2)青函連絡船関係者 元・八甲田丸機関長 葛西鎌司氏(当日欠席)
    (3)追悼朗読 齊藤 碧彩(公立大学生)藤澤 小春(公立大学生)
  5. 折鶴献上
    主催者、ご来賓、ご出席者の順でお願い致します。
  6. 閉会

戦災で青函連絡船が全滅(碑文)

 青函連絡船は、青函トンネルの完成により廃止されましたが、八〇年の歴史の中で、「戦災」の悲劇を忘れ去ることはできません。

 第二次世界大戦末期の、一九四五年(昭和二〇年)七月十四日、米海軍艦載機の攻撃により、物流の大動脈であった青函連絡船「翔鳳丸」「飛鸞丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が、八月一〇日には「亜庭丸」が青森港で撃沈され、百三十一名の犠牲者を出しました。この中に、函館船員養成所大沼支所の生徒十四名(当時十四、十五歳)がおり、悲しみを一層大きくしました。

 また、津軽海峡と函館湾でも攻撃を受け、青函連絡船は全滅をし、乗員乗客四百二十四名の尊い人命が失われました。

 今も津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が、この航路に殉じた人々と共に、永久の眠りについています。

 青森市民の目前で繰り広げられた、悲惨で残酷な空襲・戦災から六〇年を経ましたが、今では当時の惨状を止めるものはなく、人々の記憶からも薄れ、知らない世代が増え、風化されつつあります。

 青函連絡船戦災の碑は、戦災から六〇年目の今年、この悲劇を歴史に止め、語り継ぐとともに、犠牲となられた方々のご冥福と平和を衷心より祈念し、建立されました。

 この事実が、風化することなく、次代の人々に語り継がれることを、心から願うものです。

二〇〇五年(平成一七年)七月十四日
六〇年目の青函連絡船空襲・戦災の日に建立

戦後79年
今年度のこれからの活動ご参加を!

青森空襲を風化させず、
語り継ぐための活動をしています

  1. 青森空襲展
    7月25日~28日 中央市民センター
  2. 青森空襲の跡をたどる集い
    7月22日午後1時から午後3時 徒歩で市中央部をめぐる。事前申し込み必要
  3. 青森空襲の体験を語る会
    7月27日午前10時から12時 中央市民センター1階会議室
  4. 青森空襲戦災犠牲者追悼・平和祈念の集い
    7月28日午後1時 青森市役所戦災都市青森の碑前

★青森空襲体験者の記録集発行のため、毎年、体験者の原稿を募集しています。ご協力をお願いします。

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