≪画像あり≫「戦後79年・青森空襲・戦災犠牲者追悼・平和祈念の集い」の模様 2024年7月28日

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戦後79年

青森空襲
戦災犠牲者追悼
平和祈念の集い

2023年7月28日の追悼
平和祈念の集い

とき
2024年7月28日午後1時
ところ
青森市役所前
「空襲・戦災都市 青森」の碑

(終了致しました)

主催

青森空襲を記録する会

次第

1,開会・司会 小熊ひと美
2,黙祷
3,主催者挨拶 今村修
  青森空襲を記録する会会長
4,来賓ご挨拶と紹介
 (1)青森市長代理・小野 正貴 総務部長 様
 (2)青森空襲犠牲者遺族 大坂 昭 様
 (3)追悼舞踏 舞踏家 福士正一 様
5,折鶴献上
  主催者、ご来賓、ご出席者の順でお願いいたします。
6,閉会

「空襲・戦災都市 青森(碑文)」市役所前

一九四五年九月二十五日占領軍が上陸した日

 青森市は、第二次世界大戦末期の、一九四五年(昭和二〇年)七月二八日夜半、米軍B二九爆撃機六二機の空襲を受け、M七四焼夷弾八三〇〇〇発の投下により、市街地の役九〇パーセントを焼失し、一〇一八名もの尊い人命と財産を失いました。

 また、同年七月十四・十五日と八月九・一〇日には、米軍艦載機により、青函連絡船や県内の港湾施設、鉄道、飛行場などが攻撃を受け、一七三名の人命が失われ、合計一一九一名もの人々が犠牲になったと報告されていますが、大半の方々の氏名は、いまだ明らかになっていません。

 あの悲惨で残酷な空襲・戦災から六〇年を経て、青森市は、廃墟から立ち上がった市民の努力により、みごとに復興しました。

 しかし、今は、当時の惨状を止めるものはなく、人々の記憶からも薄れ、知らない世代が増え、風化しようとしています。

 空襲・戦災から六〇年目に当たり、犠牲となられた方々のご冥福と平和を衷心より祈念し、青森市が戦災都市であることを歴史に止め、語り継ぐため、焼失した県立病院の跡地(現・市役所))に、この碑を建立いたしました。

 二〇〇五年(平成一七年)七月二八日

六〇年目の空襲・戦災の日に

青森空襲体験者の記録「次代への証言」
体験者の証言を募集しています。是非、原稿をお寄せください。ご連絡いただければ、お伺いします。

青森空襲を記録する会の活動を支えて下さい!

 青森空襲を記録する会は、44年前の7月28日に発足し、以来、青森空襲を語り継ぎ、風化させないため活動を続けています。

 今後も活動を続けるため、①会員の募集②会への賛助を呼びかけています。

(郵便振替口座 02310-3-35032 青森空襲を記録する会)。

皆様のご協力をお願い致します。

青森空襲を記録する会

住所 030-0802
青森市本町2-1-10―103
電話・FAX 017-777-6200

青森まちかど歴史の庵「奏海」もご利用を!

 青森の歴史を知り、これからの青森市建設に役立てたいと願い「青森まちかど歴史の庵『奏海』」を開設し、古写真や文献などを集め、展示会を開催しています。

 現在「貼雑的ユニーク展」を開催中!

 是非、ご来場、ご参加ください。

住所
030-0802
青森市本町2-1-10
電話・FAX

017-777-6200

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