大湊警備府司令部地下作戦室

大湊警備府司令部地下作戦室

所在地むつ市大湊町4-1海上自衛隊大湊地方総監部敷地内
現在名称大湊地方総監部文書保管室
施工者大湊海軍施設部 
建築年昭和20年8月(工事中)

明治35年8月1日水雷艇4隻を基幹とした大湊水雷団が設置されて以来、北方警備の拠点となった大湊は昭和16年11月20日大湊警備府に昇格、対米英戦争に供えるとともに、対ソ警戒の任務にあたった。ミッドウエー・アリューシャン攻略作戦では、第二機動部隊の出撃地となり、さらに、アメリカ潜水艦による海上破壊活動への作戦、千島作戦の策源地として重要な位置をしめた。

終戦直後の大湊警備府司令部庁舎

1944年7月サイパン島失陥により、B29による本土爆撃が決定的となると、44年10月5日海軍次官は「工作庁、作業庁ノ工場防備強化方針」を大湊警備府長官始め、所属長官に通達。重要施設の疎開、分散、偽装を指示した。大湊警部府は、水交社裏手に地下作戦室を建設、さらに終戦時には朝鮮半島からの徴用工員を動員して、釜伏山方面に向け、数百メートルの地下トンネルを建設中だったという。

現在も、附近には海軍工作部はじめ、軍需部の地下倉庫がそのままの形で残されている。

旧海軍軍需部物品庫

地下作戦室は、戦後しばらく放置されていたが、近年海上自衛隊の図書庫として改修された。

内部平面図(軍事史学会会員飛内進氏著 大湊警備府沿革史より)
敗戦直後の大警地下電話交換所