青森空襲通信 2025年9月10日発行分 青森空襲を記録する会

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目次

戦後80年
青森空襲絵本を発行 小学校へ

元語り部 富岡せつさんをモデルに 禁じられた避難

 戦後80年を記念して、青森空襲を記録する会は、空襲絵本を作成し、小学校へ配布しました。元語り部の富岡せつをモデルにして、イラストレーターの豊川 が書いてくれました。

 青森空襲の悲劇は、7月14,15日の青函連絡船の戦災を見た市民が、郊外へ避難したのに、当時の知事、青森市が防空法を根拠に、市内に呼び戻し、被害を大きくしたことです。

 空襲を体験した方々も少なくなり、空襲が風化する中、語り継ぐことは、困難な時期を迎えています。

 こうした中、戦争の愚かさと平和の大切さを子どもたちに語り継ぐことは、今を生きる私たちの役割だと思い、小学校低学年を対象とした絵本をつくり、各学校に配布しました。

 絵本は、一冊1,600円で販売しています。

 絵本は500部印刷しましたが、まだいくらか残部がありますので、ご購入をお願いします。

青森空襲展に例年の3倍
千人来場

7月25日~28日 中央市民センター
空襲犠牲者が新たに1名見つかる

 戦後80年の今年の「青森空襲展」には若い人や親子連れを中心に、4日間に例年の3倍もの約千人が来場者しました。

 関心を持って来場いただいたことに感謝申し上げます。

 また、来場いただいた方の姉が、犠牲者名簿から漏れていると指摘があり、新たに1名が追加となりました。

 猛暑の中、建物が古く冷房が使えない等苦情もありましたが、マスコミの皆さんのご協力もあり、盛会であったことに心から感謝申し上げます。 

青森空襲の体験を語る会を開催

体験者の金澤・平井・高森氏語る

 7月26日午前、中央市民センターで、空襲の体験を語る会が開催され、体験者の金澤時信さん、平井潤治さん、そして蟹田町で体験した高森逸郎さんがお話をされ、集まった20人、特に若い人の質問に答えました。 

戦後80年
マスコミが空襲を取り上げた

 「8月3日付毎日新聞全国版」で青森空襲を

 戦後80年の年であり、青森空襲を記録する会の活動は、大きく取り上げられ報道されました。地元新聞と共に8月3日付の毎日新聞全国版に掲載された事はびっくりしました。

 空襲犠牲者の名簿を整理している市町村は少なく、90%以上が未整理で細々と民間団体の手で進められている状況を知って頂いただけでもありがたかったと思います。

 新聞を購読していない人も多いようですが、まだまだ影響は大きいです。

青森空襲体験者の証言
(次代への証言)
第33集発行

577名の空襲犠牲者名簿を記載!
今後さらに追加

 青森空襲で亡くなった方は、国の復員省の資料では、千十七人となっていますが、この資料の出どころも判明していません。

 7月28日のB29空襲の外、7月14,15日、8月9,10日の米軍艦載機の空襲や身元不明で三内霊園に埋葬された人数も不明であり、まだまだやり残している仕事がいっぱいあります。

 今後とも情報の提供をよろしくお願い致します。

 また、体験者の証言を集めるためご協力をお願い致します。 

青森空襲戦災犠牲者
追悼・平和の集い!

市役所
「戦災都市青森の碑」前に35人

 戦後60年に市民の寄付で建立した市役所前の「碑」も20年を経過しました。

 この間空襲を記録する会が毎年集いを開催してきました。

 今年も約35名が参加し、黙とう、今村会長、小野市総務部長や大坂遺族代表挨拶、平井体験者挨拶の証言、折り鶴献上を行い、犠牲者の追悼と平和を記念しました。  

青函連絡船戦災犠牲者
追悼・平和の集い

青森港「戦災の碑」前に20人

 戦後60年に市民の寄付で青森港岸壁に建立した「青函連絡船戦災の碑」前で、今年も「集い」を開催しました。

 黙とう、今村会長、藤林市総務課長の挨拶、中央高校演劇部OB是川さんの追悼詩朗読、折り鶴献上で犠牲者を追悼し、平和を祈念しました。

青森空襲の跡を
たどる集いに8人参加

 7月19日の徒歩で市中心部の空襲の跡をたどる集いは、相馬会員の案内で行なわれ、青森製氷や公会堂、教会、焼け残った蓮華寺を巡りましたが、猛暑のため蓮華寺で終わりました。

 蓮華寺では戦後市役所として使用した霊安室なども案内頂きました。

  昨年も猛暑で、蓮華寺で歩くのを中止しました。

 二年連続です。

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